堂の山(首塚)

幕張一丁目の浜田川沿いの小高い丘である。別名大須賀山という。
木彫りの大日如来像(千葉市指定文化財)が安置されていた仮屋があった為、お堂の山、「堂の山」と呼ばれるようになった。
大日如来像は、今は、宝幢寺(ほうどうじ)に収められている。
天明4年(1784)切倒されてしまったが、且つて、丘の上にあった古木は、上総・下総と江戸を結ぶ通い船にとって恰好の目印となっていた。
大日堂への登り口には、首塚への案内板がある。この丘の頂上にある首塚は、康正2年(1456)上総八幡(現市原市八幡)で戦死した、馬加城主馬加康胤の首塚と言われている。
享徳の乱(きょうとくのらん)享徳3年(1455)
室町幕府8代将軍足利義政の時に起こった室町時代の関東地方における内乱。
塚の上には供養のため寛永10年(1633)五輪塔を建立。
3mの県内屈指の大きさ。

石段を上った右手には、文政期に関脇まで昇進した幕張出身の力士 荒馬紋蔵の供碑がある。
当時、大須賀山の山裾、幕張一丁目に住んでおり、江戸の力士の巡業の途中、田んぼのあぜ道で、肥桶を天秤棒の先にさげて差し出した怪力に驚き、弟子とした。荒馬を襲名。関脇となり、42歳で引退。21年間と長きにわたり、土俵をつとめた力士であった。
引退後、同郷の力士の育成に努め、相撲界に尽力した。供養塔は、門弟・村名主らにより、1857年、供養のため建立された。

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千葉市花見川幕張町一丁目堂の山