千葉周作修行の地(宝光院)

宝光院の入口に、「千葉周作修行之地」と記された標柱がある。
剣術の北辰一刀流の創始者、千葉周作が若き頃、剣の道を志し、通った浅利道場の跡。
文化6年(1809)15歳の時、一家で陸前国(岩手県)荒谷村から松戸宿に転居し、馬医者を営む父の忠左衛門(幸右衛門)は浦山寿貞(うらやまじゅてい)と称してこの参道付近に開業した。
幼少の頃から北辰夢想流剣術を学び剣術に長けた周作が入門した小野派一刀流の浅利又七郎の道場は、、宝光院と善照寺の間にあった。
周作は、又七郎の下で才能を開花、後に23歳で浅利の学んだ江戸の中西忠兵衛の門下となり、数年の後には免許皆伝を許された。
又七郎の娘婿となり道場の後継者として期待されるが、流儀に対する考えの違いから免許を返上し、修行の旅に出て、他流試合で剣名を轟かせ、やがて「北辰一刀流」を編み出し、独立し、神田に「玄武館」を開いた。
北辰一刀流は合理的な剣法として評判を集め、江戸剣術の一大流派となり、幕末にかけて数多くの門弟を輩出するに至った。
「技の千葉(玄武館)、力の斎藤(練兵館)、位の桃井(士学館)」と評される江戸三大道場と称された。
門下には、坂本竜馬、山岡鉄舟、清河八郎、山南敬助ら幕末の重要人物が名を連ねた。
坂本竜馬は江戸で周作の弟の定吉の道場に通ったとされる。
千葉周作は、42歳で水戸藩に召し抱えられ、のちには幕臣の登用された。

千葉周作修行之地1千葉周作修行之地3

千葉県松戸市松戸1842